気付いた事まとめ
◾︎対象が目の前にいない
「いないのに考える」という違和感。
1、区切りがない
本来は「目の前に相手がいて会話する」。
だから、相手が目の前にいなくなれば会話できないし、そこで終わりになる。
しかしながら、SNSの場合「無限に考える事が出来る」。
本来は「自分が発した言葉」に「相手が思った反応が返ってくる」。
つまり「アクション→リアクション」までがワンセット。
しかしながら、SNSは基本「言いっ放し」で、自分が発した事がめちゃくちゃ気になる。
自分が言った事に「誰か反応してくれるかな?」って延々と気になる。
本来であれば「目の前にいる相手」にそれを投げかけて会話する。
しかしながら、それが「対象がない状態で」話すという事になる。
自分が発したアクションにいつ誰が反応するか分からない。
それは「とても気になる状態」にならないだろうか?
ある種の「自意識過剰な状態」になる。
2、情報量の少なさ
これも「相手が見えない」のが問題。
目の前の相手と会話する時は…
「表情」
「声色」
「身体の動き」
「前後の会話(会話の流れ)」
「その人の趣味趣向(見た目にも反映される。ギャル系や清楚系みたいな)」
「その人の経歴(何が好きで、どういう価値観で、どういう判断をしがちな人なのか?)」
を、「大まかに加味して行われる」。
んで「ああこれは伝わってるな」とか「これは誤解されてんな」ってのを「即興で判断して行う」。
それらが「全てない」。
今ここを見てるあなたが…
「どんな服装をして」いて
「どういう表情でここ見ていて」
「どういうリアクションをしてくれているのか?」
これが分からない。
だから「何を伝えていいか分からない」。
この状態で説明するとすれば「一から十まで全て伝えなければならない」。
そんなメンドくせえブログを読むやつなんかいないし、すぐページを離れるだろう。
そして「離れた理由も分からない」。
会話してりゃ「これまずったかな?」とか「ここで誤解されたかな?」ってのに「あたりがつく」。
友人関係なら「確認してみればいい」し、他人相手であっても「とりあえず訊いてみる」って選択肢がある。
しかしながら、SNSは「分からない」。
見るのも書くのも自由だが、良い意味でも悪い意味で責任を負わない。
顔も分かんなきゃ前後関係も趣味趣向も知らないけど、とりあえず何かを言いっ放しにしておけるし、それでいい。
薄い繋がりを作るには有用なツール。
しかしながら、どこか悲しさというか寂しさがある。
主なコミュニケーションはリアルに置いた上で、それを広げるために「SNS」を使うのがベスト。
◾︎まとめ
主軸がSNSだと「病む」。
自分の発言が気になりまくりな上に、相手の姿を見て行う情報量豊かなコミュニケーションができない。
ベストな使い方は、軸をリアルに置き補足として使う。
サッカー好きならサッカー好きと繋がって、リアルでサッカーバーに行ったり、一緒にフットサルやったりする感じ。
ネット発ネット完結だと病むだけ。
ネットツールは、最終的にリアルに落とし込む事を前提として使う。
あくまでもリアリティある使い方をしよう。