「実際にやった人」って、ほとんどいないのね。
しかも、やったとしても考察が甘かったりとか、なんか間違ってたりとかする。
*糖質制限なんかがそれ。
じゃあもう「実際にやってみるしかないよね」と。
◾︎周りの意見に振り回されるのは「無駄」
いわゆる「ドリームクラッシャー」という言葉がある。
「無理だから止めとけ」って「あれ」。
夢は学生のウチにしか見れないとかってやつ。
いや「うるせーよ」。
そいつが挑戦したいっつってんのに、なぜ夢を砕く必要がある?
やってみた結果を負うのは「そいつ」であって、意見を言ったやつじゃない。
実行するのは「俺」であって、あなたじゃない。
無論、逆も。
挑戦するのは「あなた」であって、俺じゃない。
俺がどんなに「体重落とすならこの方法が良いよ」っつっても、実行するのは「あなた」。
あなたが「やりたくない」ならそれは尊重されるし、やって無理だったとしても結果を負うのは俺じゃない。
*痩せなかったという結果を負うのは「あなた」。
だから、有効そうな事は期待せずに全部やってみればいいし、自分で判断して決断して試行錯誤するしかない。
◾︎やってもやってなくても周囲の意見は周囲の意見でしかない
本もネットも周りの意見も「全部一緒」。
結局「やってみないと分からない」。
じゃあ、なぜ知ろうとするのか?
「方法を知る」んだ。
◾︎方法を得る
知らないと「発想すら思い浮かばない」んだ。
例えば「痩せる」。
漫然と自分だけで考えてると「ただ食事を抜けばいい」となる。
そこで普通の人は考える。
「もっと楽な方法はないか?」。
んで、糖質制限やら1日断食やらが出る。
それに対して「医学的にはどうか?」「生体反応的に正しいのか?(空腹と血糖値の関係やらなんやら)」などを擦り合わせて、無理のない制限を作る。
んで「やってみて」、ここは良かった、これは無理だった、などと絞っていく。
これすら間違ってるかもしれない。
…が、ここに至る発想に対し、「自分の意見はほとんど入ってない」。
先人のデータから使えそうなのを引っ張ってきて、「実際に試してみて」効果を選り分けながら精度を上げる。
こういう「成功のための発想」をもらってくるのが、「知る」という事。
◾︎知ってる&試す人は1万分の1人
よく言われるのが、本を読んで実行する人が100人に1人。
それを継続できる人は「100人に1人」。
つまり「10000分の1」。
ビジネス書は「3万部でベストセラー」。
そこから実行し続けて結果を出す人は「3人しかいない」計算になる。
◾︎判断を他人に委ねる危険さ
それが真実だと思い込むと、疑う事すらしなくなる。
疑わないという事は、可能性に気付かないという事。
元来バイアスをかけて脳の負荷を軽減する人間は、興味のある事以外に注意が向かない。
他人の意見を鵜呑みにした終着点が「宗教」。
価値判断を他人に委ねる。
故に、どんな情報も「使えるかもしれない」までで止まる。
その先は「使ってみてから」判断する。
◾︎まとめ
知識は知識でしかない。
大多数の人は「かもしれない」と言っているだけ。
知る+試すでワンセット。
いわゆる「一定以上の本を読んでも頭が良くならない」のがこれ。
本なんて知りたい関連本を2〜3冊読めば充分。
それを「試す事」に価値がある。
とにかくやってみよう。
それでこそ「向こう側に行ける」ってもんだ。
楽しんでいきましょう♪