達観「した気になってるやつ」の典型例。
なんでやりたい事の限界を決めねばならんのだ?
◾︎そこが限界だったらそれで良くね?
為末は「目的主義」。
「一番になるために」競技を変えた。
要は、陸上が好きなわけじゃなくて「一番が好き」。
これが違う部分。
◾︎なんにために「それ」を達成したいのか?
「ロマン」。
つまり「感情」。
心の底からそれを達成したい!と思い、損得勘定すら消えたくらいのレベルでもって、それに取り組む。
本田は夢に描いたミランの10番を達成した。
イチローもまた達成した。
そこにカタルシスを感じるのは「ロマンを叶えた」から。
ただ一番になりたかった訳じゃない。
「それじゃないと意味がない」からこそ、ブレずに進めるし、妥協なく過ごせる。
代替えは存在しない。
外的要因で折れたりはしない。
◾︎為末の場合
ジャマイカの選手を見た時点で「逃げた」。
これは無理だ、と。
ハードルなら取れるかも、と。
「短距離で」一番になりたかったんじゃないのか?
ただ「一番になりたかったのか?」。
そうであれば「陸上である必要すらなかったんじゃないのか?」。
武井壮のように、もっと色々な競技に挑戦しても良いんじゃないのか?
あえてハードルにこだわる理由はなんなのか?
その上で、若い頃の記録を超えられないだとか、文句ばっか言ってる。
超えられないなら別の競技に行けば良いし、超えられる方法を見つけるまで粘れば良い。
それを「超えられなかった」って文句ばっか言ってる。
自分が望んでやってたはずなのに、なんだかよく分からん。
◾︎言い訳のプロフェッショナル
なんだか良い事を言って誤魔化してるけど、「なんか上手くいかないんです」って言ってるだけの人。
より上手くいく方法を考えて実践すれば良いのに、やれ「限界はこの辺にある」、やれ「年齢によってやれる事は狭まっていく」だの、文句ばっか言ってる。
やってみりゃ良いじゃねえか。
人間3年もあれば、良いとこまでは行く。
特に新しい業界であれば、先駆者もいないし、独学で前に進めるやつが有利。
過去、ツイッターで話題をさらった有吉とか、インスタ女王の渡辺直美とか、時代に乗っかった先駆者は駆け上がって行った。
なんでもやってる武井壮は、むしろ「今が最盛期」と言う名言を残すくらい、現在も精力的に活動している。
為末は、ブログや講演会で「限界とは〜」と言ってる。
さて、何がしたいんだろうか?
◾︎現代的で批判的な人
橘玲の系譜。
作家気質な方なんだろうね。
友人が少なそうな。
「才能が全て」とか「育ちで決まる」とかってのは「楽で良い」んだけど、プラスの効果は何もないのよね。
それが「挑戦しない理由にはならない」のよ。
好きならやってみれば良いし、嫌いならやらなければいい。
ただそれだけの事であって、「やらない理由」とか「やる理由」とか「いらない」のよ。
やりたいからやる、やりたくないからやらない。
自分にも他人にも言い訳をする必要はない。
やるならやる。
やらないならやらない。
グダグダうるせえ。
やる気を出してるやつの邪魔をするな。
◾︎まとめ
為末、気持ち悪い。
「理由」ってのは「後付け」なんだよ。
やると決めたら「やる理由が出てくる」。
やらないと決めたら「やらない理由が出てくる」。
グダッてクダ巻いてるなら「やらないと決断してる」。
それならそれで良いから、クドクドとやらない理由を語るな。
「どうしたいか?」と語れ。
無駄に影響力あるっぽいけど、非常に残念な人だった。
もっと前向きなモノを見ましょう。