基準が「利害」になっちまう。
ちゃんと全部「自分で決めてる」んなら問題ないかもしれないけども。
◾︎合理的な選択肢
よくあるやつで…
1、今1000円貰える
2、1年後に1200円貰える
どちらが合理的か?
というのがある。
額面だけ見れば「当然1200円」。
これの応用が投資理論の基礎を成す考え方だったりする。
*多くの人は手前の1000円を選ぶため、遠くの損失や利益を勘案出来ない。
ただ…分かるよな?
感情的には「今すぐ1000円が欲しい」んだよ。
それを我慢して我慢して、やっと1年後に1200円を貰えるワケだ。
◾︎しかしながら現実は?
上の例えをそのまま使う。
今すぐ1000円貰った人は「1000円相応の経験がすぐに出来る」。
1年後の1200円を選んだ人は「1年後まで経験出来ない」。
…さて、額面でこそ有用なものの、実際は「どちらが楽しく」また「どちらが伸びていくのか?」。
確かに統計上は、報酬を先送りに出来る=目標に向かって努力出来る人の方が、長期的に見て成功する。
だがしかし。
どちらが幸せなのか?は、一概に言えない。
◾︎学生時代に遊びつつ、それなりの就職を勝ち取って、しれっと結婚して子供がいるやつが、最大の勝ち組
もうぶっちゃけ言って、これ。
「その後で」合理的な選択をすればいい。
結婚自体が不合理である事は、藤沢数希氏の本に詳しい。
稼ぎがあり、知名度もある男であれば「籍を入れずとも皆んなが納得する」という、良い事例。
…ただ、いかんせん「感情的に気持ち悪い」んだわ。
義理人情と筋を大事にしてきた自分としては、感情を排した合理的思想ってのが「理解は出来る」が「手放しで受け入れられない」。
◾︎選択
1、確かな「合理的な選択」を積み上げて、キッチリと結果を出す。
2、「感情的に気持ち良い」を優先して、そこそこの結果で手打ちとする。
最近、クソほど本を読んだり色々見たりして、思考が合理的になった。
その代わり…と言っちゃなんだが「本当につまんない」んだわ。
思考の選択権が「自分にない」。
考え方の視点が「利益があるかどうか?」。
自分で選択してミスって学んでってプロセスが、「自分の選択じゃない」から「超つまんない」のね。
もう非合理でいいから、「やりたいようにやる」方が、人生楽しいんじゃないか?と。
合理性は確かに良いんだけど「選択肢を狭める」。
全っ然楽しくねえんだもん。
やってる事にイマイチ熱が入らねえし、どうしても伝える気も起きなければ、その趣味で他人と交流する気も起きない。
手放しで楽しいって「感情が入ってない」んだもん。
どっかで「合理的だからやってる」って冷めた視点が入る。
合理的だと分かってて、あえて不合理に進む勇気。
これぞ反骨。
◾︎まとめ
賢くなると人生つまらん。
バカみてえに目の前の人と楽しんで、やりたい事やって、その積み重ねで新しい事が見える。
今、人生超つまんねえわ。
選択権は自分の手元に取り戻しましょう。
さあ「やりたい事をしよう」。
では♪