研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

リアル(現実)とネットの「違い」

「人を判断するための情報量」と「双方向コミュニケーション」。

この2点の違いから、現実とネットは「全く違う能力が必要になる」。

 

■情報量

現実では「相手の外見」「相手の表情や態度」が、判断材料として入る。

1、外見

実は外見ってのは凄まじい情報量がある。

「何を好きなのか?」

「綺麗好き(神経質)なのか?」

「配慮のある人なのか?」

少なくとも、この程度は分かる。

ボロボロの服を着て、髪もボサボサであれば「無頓着な人」なのは間違いない。

しかしながら、爪は綺麗だったり、靴は綺麗だったり「なんらかのポイントが見える人」であれば、単なる無精な人ではないと分かるだろう。

そういう「外見からの情報量」ってのを、無意識に拾って判断してる。

 

2、表情や態度

言語以外の領域の情報量。

例えば、「冗談を言う」としよう。

まず「自分の態度でそれが冗談であることが伝わる」。

笑顔でけなしてたり、いつもは表情豊かなのに真顔でけなしたりなど、

何か矛盾がある表情や態度で冗談だという事を伝える。

普段と同じ態度で嘘ついても「伝わらない」のね。

嘘と分かるように嘘をつくから冗談が成立する。

そして同じように、相手の表情や態度で「相手の状態が分かる」。

冗談が「正しい文脈で」伝わっているのか?

相手は理解しているのか?

理解した上でなお不快なのか?

そもそも冗談が好きなのか、苦手なのか?

これだけの情報量があって、ようやく判断ができる。

 

以上の「判断材料」があることで、相手との正しいコミュニケーションが可能になる。

 

■ネットは一方通行

ネットでは雰囲気や空気が伝わらない。

雰囲気とは「外見」と「態度」。

空気とは「情報がどう伝わっているかを判別する手段」。

 

俺のこの文章を「どんな「あなた」が」「どういう表情と態度で読んでくれているか」分からない。

例えば「あなたに文句を言われる」としよう。

そこで俺の判断が始まる。

リアルであれば、基本的な「外見」と「表情や態度が分かる」。

まず「外見」と「文句の内容」から。

あなたが配慮出来る人で、たまたまこの記事が気に入らずに文句を言った人なのか?

それとも完全なるネット弁慶でクズのような人なのか?

これらが「かなり高精度で判別可能」。

任天堂の故・岩田社長のような人なのか?

桜田大臣のような人なのか?

あなたの凡その知力レベルがどんなモノで、どういう性格をしているのかは、実際に会って話してれば数分で理解可能。

前者であれば誠実に対応するが、後者であれば完全に無視する。

そして前者であれば、「何をどう解釈してそれ(文句)に至ったのか?」を訊ねる。

これがコミュニケーションというものだと筆者は思っている。

 

■もちろん「あなたもそういう判断ができる」

俺がどういう外見をしていて、どういう態度や表情で伝えているのか?

それらの情報から、俺の言葉の確度はそれくらいで、どのくらい自信があって、どのくらい考えられているのか?が分かる。

それによって、あなたは「信用できる」と思うかもしれないし、逆に「こいつは信用できない」と思うかもしれない。

それが「あなたの判断」であり、それこそが「最優先されるべき情報」。

あなたが信用できると思えば信用すればいいし、信用できないと思えば信用しなければいい。

こんな当たり前の事に足かせを背負ってるのがネット。

故に「判断を誤りやすい」。

 

●リアルのコミュ力が高いほど、ネットでは損する確率が高い

リアルのように「誠実に」「ちゃんと」対応しようとするほど、辛い目にあいやすい。

リアルではそれらは「相手に伝わる」。

あなたの外見はあなたの性格を表すし、あなたの一貫した態度や表情は裏表のない信頼として相手に伝わる。

もちろん、俺の外見や表情、態度なども伝わる。

適当なことを言えばそれが伝わるし、真摯に受け答えすればそれが伝わる。

しかしながら、ネットでは相手に伝わらない。

さらに相手が誠実であるとは限らない。

顔も名前も分からず、外見の情報も一切ない相手を「ちゃんと」判断することは不可能。

良い文章書いてるのに中身はクズという事も全当然ありうる。

しかし、見抜く術はない。

そういう判断が不可能なのに、あなたはリアルと同じように対応しようとする。

とりあえずは相手を信頼し、きちんと会話を試みる。

しかしながら、相手の情報はない。

どういう人が、どういう経緯で、どういう考え方でそれに至ったのかが全く分からない。

そんな人と「上手にコミュニケーションできるだろうか?」。

これくらい不確定な世界で、不確定な情報(その人の意見やら)に接しているんだという事を意識して欲しい。

 

●ネットでは「どんな人が」「何を言っているのか?」を意識しよう

あなたに意見をくれる人がいるとしよう。

それは本当に「検討すべき意見なのか?」。

真摯で誠実にきちんと生きている人間から出た、理論正しく意見されたものなのか?

雑で適当な嘘つきなクズが、感情で書き殴ったものなのか?

意見が全て正しいわけではなく、全ての意見に真摯に向き合う必要はない。

特にネットでは「目利きが出来ない」。

リアルできちんと相手に向かい合う人ほど疲弊しやすいので気を付けて欲しい。

 

■リアルに軸足を移そう

ネットや本やその他メディアで遊ぶのはほどほどにしよう。

ちゃんと外に出て自分の目で見て判断をしよう。

特にこのブログの読者は「人と真摯に向き合えるやつ」が多い。

こういうやつは「他人のあれこれを拾いやすい」。

それはリアルにおいては「情報を拾う力」になる。

相手が何を好きで、どういう人で、どのくらい理解力がある人なのかを判断できる。

実際に会って話した人からは高評価を受けることが多いだろう。

…が、ネットにおいては「いらない情報を引っ張ってくる力」になる。

いらない情報に処理能力をとられて、本当に必要な情報=リアルで見た情報を精査する力が残ってない。

「リアルだけで生きれば、実際に目の前で見た情報だけで良くなる」。

今目の前で何が起き、どういう状態にいて、それを解決するためにはどうするのか?

処理能力はそれだけに使えば十分。

ネットのような「不明瞭な場所」で「何か良く分からないもの」に対して能力を使うのはもったいない。

 

 「今目の前のやるべきこと」だけに集中しよう。

それが唯一無二の解決策であり、あなたの能力を活かす最善の策。

 

■まとめ

リアルとネットでは「情報量が違いすぎる」。

目の前で見た「それ」を判断し、解釈し、行動に繋げるのが「リアル」。

そこでは「誠実さ」などが「伝わる」し「分かる」。

しかしながら、ネットでは分からない。

なんだか不明瞭な情報を、なんだか不明瞭なまま処理していかなければならない。

不明瞭な情報をいくら検討したって不明瞭なまま。

なもんで、このブログの読者さまにおかれましてはリアルに軸足を移してください。

実際にやってみて、見て、体験した情報を整理していけば「正しい答え」にたどり着く。

ネット情報で熟考しても意味がない。

なぜなら、情報量が足りないから。

足りないものに振り回されるのはもうやめましょう。

 

あなたの真の実力は行動したのちに分かる。

まあ間違いなく優秀だよ。

足りない情報で悩んでたんだから、情報さえ足りれば余裕。

 

ぜひリアルに情報を拾いにいってくださいませ♪

「俺(私)でも大丈夫なんだ」と信じる事。

自分が信じてない事は、他人から何を言われても示されても信じられない。

 

つまり「自分ができると信じなければ」物事は進まない。

 

■自分の思ってることしか「感じ取れない」

例えば「良い身体してますね」と言われるとする。

*フィジカル的な意味で

ここで、自分で自分が優れた身体をしていると「信じていなければ」スルーする。

「もっと良い身体してる人いっぱいいますよ~」とか言って流す。

ここの重要なポイントは他人が何を言おうと関係ない事。

実際に良い身体をしていたといても…というより、良い身体をしているから指摘されているという現実を感じ取れない。

 

■他の事でも同じ

「モテそうですね」「頭いいですね」「話し上手ですね」など。

他人にそう思われる要素があり、客観的に見て優れているから指摘される。

*完全なお世辞の場合もあるっちゃあるが

しかしながら、自分がそう思わず、「もっとできる人いっぱいいるし大したことない」と思えば、そこで終わってしまう。

ではどうするか?

 

■自分がやりたいと思うことを「大丈夫。俺でもできる(要素がある)」と信じる事

他人から何を言われようと意味がない事は上述した。

基準が他人や他のモノ(自分以外の評価)ではダメなんだ。

誰かから表彰される事よりも、誰にも評価されなくても自分自身が納得できることの方が重要。

そのためには自分が自分を信じる事。

自分でもそれをやれるだけの能力があって、それをやっていいだけの力があると「信じる」。

それはもちろん、100%できるという過信ではなく、盲目的なポジティブシンキングでもない。

無駄に高い目標だったり、妄想に浸るような非現実的な目標でもない。

徹底的に現実的に、しかしそれを達成する能力はあると「信じる」事。

 

■自信がないときに必要なのは「自分を信じる力」

自分が自分を信じない限り、自分が納得できる結果を手に入れることはできない。

自分がしたいことを信じ、それに進むことを信じ、自分の能力を信じ、そこでようやく「やりたいこと」の一歩が踏み出せる。

他人や他の評価は関係ない。

「俺じゃできない」「これは無理だ」と、自分を信じない決断をする限り納得した結果は得られない。

 

■まとめ

自分を信じよう。

自分のやりたいこと、自分の決断、能力を。

そこには他人を必要としない。

「自分が」「自分を信じる事」。

やりたいことができる、それを達成するだけの能力はあるのだと。

あなたを支えられるのはあなただけであり、あなたを最も信じることができるのも「あなたなんだ」。

自分を信じて、進みたい方向に進んでいって欲しい。

 

コミュニケーションも1人遊びも「同じエネルギーを使う」。

 

つまり「両方は出来ない」。

コミュ障や一人遊び好きは「ここを勘違いしてる」。

 

◾︎どちらもエネルギーを使う

1人でゲームを3時間遊ぶとしよう。

その時には、当然エネルギーを使う。

そのエネルギーを消費した状態で、人と3時間遊びに行く事はできない。

逆も然り。

人と遊ぶ事は「物凄くエネルギーを使う」。

3時間も集中して人と会話してたらクタクタになって当然。

本を3時間読んだのと同じくらい疲れるし、それが普通。

故に、3時間人と遊んだ後に、ゲームを3時間することはできない。

ブログを読む人はインドアが多いから、他のものでも例えよう。

「動画」「ブログ」も全て同じ。

本読んで、動画見て、人と遊びに行く何てことは無理なんだ。

 

◾︎エネルギーを何に使うか?

1日の総量は限られてる。

あれもこれもはできない。

例えばだが、このブログを書く時間とエネルギーを使って他人と遊ぶ事もできるし、出かける事もできる。

どうしても伝えたかったから書いたけど、本来は書きたくない。

他に使えるエネルギーが減ってしまうから。

 

◾︎ぼっちコミュ障は外に出るエネルギーを優先しよう

1人で色々やってる「それ」。

「それ」は、自分が思ってるよりも多くのエネルギーを消費している。

それを全部減らして、外でやる事にエネルギーを使うようにすれば、簡単に解決する。

ぼっち時にエネルギーを使いすぎてるから、人と会った時にエネルギーが枯渇してる。

枯渇してるから「他人が怖く見える」し、積極的に会話をしようと思わない。

だって疲れてるんだから。

人と会う事を優先順位の「上」に置き、余ったエネルギーで「ぼっちを楽しむ」。

これでコミュ障問題は解決する。

 

◾︎まとめ

自分のエネルギーは有限。

あれもこれも全て出来ない。

1人で楽しむ事はほどほどにし、外でする事や他人とのコミュニケーションに対してエネルギーを使おう。

 

…は〜疲れた。

このエネルギーを使ってバスケする事もできるし、服買いに行く事もできるし、ドライブ行く事もできるんだよな〜。

そんな感じ。

 

ぼっちやコミュ障を改善したいなら、インドア1人遊びにエネルギーを使いすぎないようにし、外で遊ぶ事にエネルギーを注いでみて下さいませ。

普通に戻る事にした。

 

ここ数年、ずっと「特別になろうと努力してきた」。

しかしながら、なれなかった。

…んで、まあ思ったんだけど、俺にとって普通になる事って「難しくない」のよ。

ここがポイントなんだと思う。

 

◾︎自分にとって「普通に出来る事」が「適切な場所」

特別な人って、特別な努力をしてそこにいるわけじゃないのよ。

自分に出来る事を突き詰めていった結果そこにいる。

米津玄師や日村勇紀なんかは普通な事ができなくて、特化した才能を生かした結果。

*敬称略

普通の人も同じ。

独立する人は企業勤め出来ないから独立する。

俺にとっては普通の接客業で働く方が自然で簡単で、苦労に感じない。

実際、就活は2社しか受けずに決まったしね。

俺にとってはブログを書く方が苦痛だし、ネットで相手の顔も態度も雰囲気も分からないでコミュニケーションする方が苦痛。

対面で、あなたがどんな格好で、どんな表情で、どんな雰囲気で「それを言っているのか?」が分かれば、あなたがどういう人か分かる。

その結果クズだと思えば無視するし、信頼に値する意見だと思えば参考にさせてもらう。

そんな感じで、無理して無理して頑張って掴んだ「それ」は他の人には簡単に出来たりするし、自分がする必要はないものだったりする。

 

◾︎自分がラクな事をしよう

俺にとって「普通である事」は、さほど難しい事じゃない。

家から近い勤務先を選んで、そこそこ可愛い女性を選んで結婚し子供を持つ事は、多少の努力を要するとは言え不可能な事じゃない。

むしろ極めて現実的で「つまらない目標」とすら思える。

しかしながら、それくらい現実的に「まあ俺にも出来んじゃね?」ってやつこそが自分に向いてる事。

ここではないどこかに解決策などなく、極めて現実的で自分が出来ると感じることにこそ解決策がある。

ある人には起業する事が身近で自分に出来る事かもしれないし、ある人には作曲する事が身近で自分に出来る事かもしれない。

そこは自分にとって最も身近な方法を選んで欲しい。

 

◾︎現実に帰ります

俺にとってここは「自分に向いてる場所じゃなかった」。

やればやるほど苦しく、ネットに関わる時間が増えるほど苦しさが増していった。

俺のとっては現実の方が優しく、ラクに過ごせた。

普通を目指して努力する方がラクだし簡単。

ラクな時間を楽しく過ごしたいので普通に戻ります。

 

ある種このブログ(過去の自分)の否定だが、間違ってる事に気付いたのだから仕方あるまい。

方向転換しながら生きていきます。

 

読者様への感謝文。

 

そういや、ありがとうを書くことは少なかったな、と。

迷惑が掛かるので具体的な名前は出さない。

*このブログはアンチが多い。

なもんで、一定数の筆者との絡みがあったり、いつも星をくれるような人は「自分の事だ」と思って読んでいただきたい。

 

■感謝

あなたが「読んでくれるかも」と思うから、辛うじて「他人の役に立つ記事を書こう」と思い、行動できた。

あなたがくれる星やコメントで勇気をもらい、モチベーションをもらい、さらに社会の声をももらっていた。

たった一つのそのアクションで、あなたからもらえていたモノは計り知れない。

 

そしてあなたのおかげで、ネット上にも一定数の「人格者がいる」と信じられるようになった。

あなたが「優しさ」や「思いやり」などのポジティブな感情を感じさせてくれたから、ネガティブな声に負けずにいられた。

本当にありがとう。

 

■本当に「したい事」

感謝をあなたに返礼したい。

あなたのテンションを上げ、あなたの心が楽になり、あなたの生活が向上するような情報をお渡ししたい。

あなたの役に立ち、あなたと一緒に楽しみたい。

もっとあなたと「心から楽しめるモノ」を書き、オススメしたい。

オナ禁したり、エロ禁したり、女をモノみたいに扱ったりとか、誰かに何かを証明するために結果を出したりすることは「もうしたくない」。

金や社会的地位はなくても、好きな女や好きな友人と好きなことして遊べりゃいいのよ。

俺は他人とそういう絡み方をしたいし、あなたともそういう絡み方をしたい。

 

■それを実現するにはこのブログは甚だ不適切

なんせ「結果を出そうともがいてきた記録」だからね。

とにかく「結果にフォーカスした生き方の記録」。

やってみた結果としては、クッソつまんねえ上に「辛い」。

ストレスまみれで、それが文章に乗っかっちゃってるんで、見ていて「不快な表現」が非常に多い。

俺はこの俺が嫌いだし、このストレスまみれの状態で読者様と絡みたいとは思わない。

そして、読者様にもこういう生き方をして欲しくない。

しかしながら、実際にやってきたことに変わりはないのだし、責任は受け止めねばならん。

 

■今オススメしたい主語は「誰と何をして楽しむか?」

ぜひ読者様にも「楽しんで」欲しい。

自分が気持ちいいと思う事をし、自分が気持ちいいと思う人の役に立つために行動する。

自分が気持ちよく感じる事は、役に立ちたい人にも気持ち良く感じてもらえることかもしれない。

心地よくいられることを多く知っていれば、それだけ他人の役に立つチャンスも増える。

ぜひ「楽しい気持ち」をシェアし、皆で楽しく過ごす時間を過ごして欲しい。

 

■まとめ

ありがとう。

あなたが読んでくれるから温かい気持ちを感じることができ、モチベーションになる。

もっとあなたの役に立つ記事を書きたいし、あなたが楽しく読める記事を書きたい。

それが難しいとしても、読者様には「気持ちいい生活をして」「それを伝えたい人を見つけて」欲しい。

テンションを上げたい人のテンションを上げるには、気持ちいい事を知ってるほどいい。

その結果、あなたの楽しさは誰かの楽しさになり、誰かの生活を気持ち良くする。

ま、「プラスを見ていこう」ぜ。

あなたが合わせるべきは「役に立ちたい人」であり「楽しませたいと思う人」だ。

 

今回も読んでくれてありがとう。

少しでもあなたの役に立てば幸いです。

効率とは?頭の良い人、悪い人を分かつ壁。

 

凄く分かりやすいのがあったのでご紹介。

 

 

◾︎ 同じ時間で学び取れるモノの差

ツイッター見てたらこんなのが流れてきた。

 

これ勉強もスポーツも恋愛も全部同じなのよ。

 「同じ経験から何を学び取れるか?」っていう。

 

◾︎出来る人と出来ない人の差

ポイントは3つ。

1、物覚えの良さ

記憶力っつーより「暗記力」。

聞いた事を忘れないよりも、見たものを即座に覚える力。

居酒屋で客が頼んだメニューを覚えておいて、間違えずに配膳するのが「記憶力」。

教科書を見たり、授業のノートを見て覚えるのが「暗記力」。

実はこれは全く別の力。

俺みたいな勉強が嫌いなタイプは客対応で力を発揮するが、教科書は全く覚えられない。

勉強に秀でるには「暗記力」が必要。

スポーツや恋愛では「記憶力」が必要。

両方ある稀有な人ももちろんいる。

 

2、本質を見抜く力

取り捨て選択とも言う。

要は「何を覚えればテストで点が取れるのか?」を考えて実行できる力。

あの参考書の山を全部覚えてるか?っていうと「絶対に違う」。

だいたい参考書なんざ「似たような事しか書いてない」。

んで、その「似たような事」が即ち「超重要なポイント」。

だって別の参考書で同じ項目に触れてるんだから、それだけ大事な事なのだろうと思う。

こういう「何を優先して覚えるべきなのか?」という選択が重要。

あと、数学などでは「核になる公式」を覚える。

数3レベルになると「その公式がどういう風に作られてるのか?」が分からないと意味が理解できない。

例えば、「速度を測るにはなぜ時間と距離が必要なのか?」っていう部分が理解できてないと、その上の公式が理解できない。

逆に、公式を根っこから理解してるやつは初見レベルでも意味合いは理解できる。

恋愛なら「相手がどう感じるのか?」そして「自分はどう感じているのか?」、だから「どう振る舞えば良いのか?」。

ここまで及ぶ人もいれば、何も考えずに遊ぶ人もいる。

スポーツでも「どういうタイミングで何をしてるのか?」って学ぶ人もいれば、感覚で突き抜ける人もいる。

そういう部分の差。

 

3、自分の経験として学ぶ

代表的なのは「実際に自分で試す」事。

スポーツや恋愛なんかは完全にそれ。

とりあえず「やってみないと正しいかどうか分からない」。

メッシのフェイントが使えるかどうか?ってのは「やってみないと分からない」。

あの瞬発力なのか?

独特な間なのか?

シュートと対になってる選択力なのか?

チームメイトの戦術眼なのか?

そもそも筋力の差なのか?

この答えは「自分でやってみるしかない」。

こういう「経験から学ぶ力」は必須。

 

◾︎出来る人は「学ぶ力」と「考える力」が優れてる

参考書をバカみたいに買わないし、同じ過ちを何度も繰り返さないし、ずっと同じ反復練習をしないのよ。

参考書一冊を完璧にやって、その上で「自分に何が足りないのか?」って感じて考えて次に向かう。

一回ミスったらすぐに修正する。

反復練習も一度オートマ的に身体が覚えるまでやって、覚えたら最小限の練習にして次の事を覚える。

そういうのを「努力」というのであり、同じ事をひたすら繰り返すのを努力とは言わない。

 

◾︎筆者は「できない方の人間」

勉強は繰り返しやらないと覚えられないし、難しい事は覚えるのに凄く時間がかかる。

身体能力は並みだし、身体で覚えるのも苦手な方。

できる方ならこんな事考えなくても出来るんだわ。

 

⚫︎できない側としてどう生きるか?

俺なんてこんなもんなのよ。

だから自分なりに努力して、自分にとって「快適な幅で生きる」。

超級の記憶力も身体能力もなく、ナンバーワンになれるほどの努力が出来るわけでもない。

無理なくそれなりの努力で遊べる場所で生きる方が快適なのよ。

「俺にとっては」ね。

東大に入ってめちゃくちゃ勉強して人生を成功させるより、その辺の人達と一緒にわーわー騒いで酒飲んで遊べる方が楽しい。

その辺の「自分にとって快適な幅」を知る事で、自分の人生が歩める。

 

◾︎まとめ

上を目指すなら頑張れ。

理解力=IQと言っていい。

「問題に対するクリティカルな部分は何か?」

これの返答が即ち自分の実力であり、自分の器であり、自分の幅。

できないなら諦めろ。

無理して無理して掴んだその場所は「自分に合ってない」よ。

東大にいる人は「勉強が好きで」「勉強に向いてる人」だからそこにいるんだぞ。

勉強が嫌いなら話なんか合わねえよ。

俺は勉強が嫌いでお気楽に人生を過ごしたいんで、そういう場所へ行く。

 

自分に合った事してね〜。

ネットは「考えるのが好きな人」が集まる場所。

 

動くより考えるのが好きなタイプ。

だから、ここをずっと見てると「考えるのが好き」な方に寄るぞ。

 

◾︎もう考えるのに疲れた

ぶっちゃけ面倒。

外行った方が楽しい。

外の人のが優しいし、話してて楽しい。

文章書くのも面倒。

なんせ文章って「考えないと出てこない」のよ。

もう疲れたから外行くわ。

 

◾︎更新頻度ダダ落ち

最大週1程度の更新に落とす予定。

理由は上記した通り。

ここを読んでくれた人は、考える時間を最小限にして外に出よう。

この中はクソばっかだけど、外の人は優しいぞ。

 

頭脳派の人がハマりそうな恋愛の「罠」について考察する

 

昔、形から入ろうとしてた時に見てたサイトを軒並み整理した。

その中にあった書き物として非常に面白いモノを、ご紹介しよう。

 

◾︎男女の脳の違い

salestechnologylab.com

 

とりあえずこれを読んで欲しい。

最初に読んで欲しい理由は「先入観なく読んで欲しい」から。

俺があーだこーだ書いた後に読むと、それに引きずられてしまう。

興味ないなら飛ばして良いが、ちょっとでも興味あるなら読んでみて欲しい。

 

…読んだ?

じゃあ次行くぞ。

 

◾︎感想

まず「お疲れ様でした」。

結論から言うと全て忘れて構わない。

 

男女って興味こそ違うが、だからこそ噛み合うようになってる。

面倒くさがりですぐ行動しちゃう男に心配性で神経質な女がついたりだとか、そういう「自分にない部分を補い合う」という視点で見ると上手くいく。

同じモノを持つ者を探すのではなく、「違うモノ=惹かれるモノ」を持つ人を選ぶから丸く収まる。

だから「自分が良いと思うものを知らなければ上手くいかない」。

例えば、自分が攻め気あるタイプで女性的な女性が好きなのに、自信がないから誰でもいいと妥協したとする。

当然「上手くいかない」。

なんせ「自分が何が好きで」「相手の何が好きなのか」が分からない。

逆に、相手のどんなところに魅力を感じるか?=自分が何を好きなのか?ってのが分かれば、そういう女性を探すことができる。

その辺が分からず、ただ単純に「笑ってる女性が好き」ってんじゃ、意味不明すぎる。

 

◾︎自分がない=優しさではない

非モテが本当に勘違いしがちなのがここ。

自分の意見を言わない=優しさではない。

隣で女が笑ってても、それが人をバカにしたものだったり、的を得ていないとものであれば、それを指摘してあげるのが真の優しさ。

「え?それをお前が言われたらどう感じるんだよ?」とか、「これにはこういう見方や理由があって好きな人もいるんだよ」ってのをちゃんと伝える。

ヘコませるっつーより、優しく叱り飛ばすってイメージ。

余程バカな女じゃない限りは薄々は勘付いてるし、なんならむしろそれを指摘できない男の度量が試されてる。

男女間に限定するから分かりにくいんであって、仕事に置き換えると分かりやすい。

新しい会社に入ったとする。

いきなり上司が新人に超気を使って平身低頭接していたとしよう。

こいつ大丈夫かな?って不安になるだろう。

そして、それは正しい。

大概そういうやつはミスしても的確な指摘をせず、ただ「大丈夫、大丈夫」という。

あなたが求める意見は本当にそれなのか?

それよりも「これはあなた(もしくは上司)のミスで」「次はどうすると改善して」「上司としてのサポートはこうする」という明確な改善点の指摘がもらえるからこそ頼り甲斐を感じる。

これと全く同じ事が男女間にも起きてる。

女に指摘しないでヘラヘラしてるという事は、「自分は頼りないですよ〜」「何も分かってないですよ〜」というメッセージを送っていることになる。

こいつについて行こうと感じるだろうか?

むしろ「使えねえこいつ=魅力を感じないやつ」となる。

 

◾︎女も人間

同じ事を感じ、同じ事をしたいと思う。

その種類が違うだけであり、その違いは差があるからこそ楽しいモノ。

女を高く見ててもダメだし、女を低く見ててもダメ。

モノでも機械でもなく「人」。

自分と同じように他人を判断し、自分と同じように他人に惹かれる。

怖がれば怖がられるし、思いやりを持って接すれば思いやりが帰ってくる。

ただそれだけの事であり、難しい理論は何も必要ない。

 

◾︎まとめ

頭脳派は「その頭脳を捨て去ろう」。

自分がどういう時にどう感じるのか?

それが分からなければ、相手がどう感じるかなど分かるはずもない。

研究対象は「モノ」ではなく「人」だ。

他人を理解するには、まず「自分を理解しろ」。

自分がどう感じ、どうしたいのかが分からなければ、解決策など望むべくもない。

そうして理解した「自分=人」は、他人と話す際にも役に立つ。

自分はこう感じるけど、この人はどう感じるんだろう?と。

そこからがスタートであり、相手を人間として尊重できるようになる。

頭脳派のロジックは読む分には面白いが、現実の役には立たない。

 

現実は「お前の気持ちが動く時」だ。

それは教えられるものではなく、自分で体験して気付くもの。

あなたがどう感じ、どう気持ちが動いたのか?

それだけが重要であり、それ以外のモノは必要ない。

 

 

負荷をかけるのは「やりたい事に対してだけ」にしよう。

 

自分メモの系統だが、あなたが読んでも役に立つと思うので書く。

 

◾︎何をしても負荷=ストレスがかかる

スポーツしても、筋トレしても、勉強しても、ブログを書いても、ゲームしても「ストレスがかかる」。

んで、1日に自分が耐えられるストレスってのも限界がある。

 

⚫︎自分のストレス限界

自分のストレス耐性が「100」あるとしよう。

とりあえず習慣で運動してブログ書くとする。

運動のストレスが「50」、ブログのストレスが「30」とすると、もう「20」しか残ってない。

習慣で(惰性で)物事を行うとその分ストレスがかかる。

差し引きの分でしか、新しい事にチャレンジする隙間がない。

 

⚫︎新しいチャレンジに対するストレス

新しい事ってのは「全く自分が知らない事」であり、超絶ストレスがかかる。

「80〜90」くらいの負荷=ストレスがかかる。

新しい事をしたら、他の事が手につかなくなるくらい疲れる。

つまり、物事が多くなるにつれて新しい事が出来なくなる。

 

⚫︎ストレスオーバーしたら?

感情が死ぬ。

軽めであれば、まず「他人の見え方がおかしくなる」。

やけに敵対的に見えるようになったり、異常に怖く感じたり、感性に関する部分がおかしくなる。

そこで行いを改めず、さらにストレスをかけ続けると

うつ病パニック障害になる。

それでも理由が分からず同じ生活をしてると、いつまでも復帰できない。

負荷=ストレスを減らすことでしか解決しない。

 

◾︎自分の限界を勘案する

今やってる事を行いながら、さらに新しい事を加える事はできない。

今やってる事を最小限まで減らし、猶予を作ってからじゃないと新しい事はできない。

新しい事をするってのはそれだけ負荷がかかるものであり、それだけ全力を賭して行わないと潰れてしまう。

新しい事をしたいときは、今やっている事を減らすか止める事。

その上で、「やりたい事に対してのストレスのみにする」。

 

⚫︎ストレスは「やりたい事だけ」にする

例えば「モテたい」としよう。

その場合、モテるために行うのはただ一つ。

女性に会う事だけ。

とにかく「会わなければ何も始まらない」。

筋トレしたって、ファッションを決めたって、実際に女性に会わなければ意味を成さない。

つまり、ストレスをかけるべきは「会う事」だた一点になる。

他のストレスは全て必要ない。

他のストレスをかけてたら、実際に会って話すという「新しい行動」に対するストレスに耐えられない。

 

新しい仕事をする場合も同じ。

ストレスは「新しい仕事ただ一点のみ」に絞る。

そうしないと潰れる。

趣味やその他の事も含め、ストレスがかかった状態で新しい仕事や人間関係など出来るわけがない。

そんな過大なストレスを受けたら簡単に潰れてしまう。

あれもこれもそれも全てやる事はできない。

今やりたい事だけに絞り、そのストレスだけにする事で、ようやく自分が叶えたい方向に進めるようになる。

 

◾︎まとめ

ストレスは減らそう。

新しい面白い事がしたいなら、極限まで楽をするくらいの気持ちで丁度いい。

その楽になった空きスペースで、新しい事に対して望める。

余計なストレスを受けてる隙間はない。

自分がしたい事だけに絞り、それに対してのみストレスがかかる事をしよう。

個人的には、新しい事は1日に1個までしかできないと感じる。

遊びで新しい事にチャレンジするのもそうだし、仕事で新しい事にチャレンジするのもそう。

2個目からは不安と集中力がコントロールできない。

その程度だが、毎日新しい事を1個やれば一年で「365個の新しいチャレンジができる」。

それはそれで十分だと思う。

潰れちまうよりも、マイペースで着実に進むほうが好きな事ができる。

やりたい事に対してチャレンジし、やりたい事に対してのみストレスを受けましょう。

手広くストレスを受けてると死ぬぞ。

 

どうせなら、やりたい事に対するストレスを受けましょう♪

 

文字情報より、映像で見る方が100倍簡単。

 

とりあえず「何かしよう」って時に、文字から入る人は罠にハマる。

*文字=本、ネットの考察記事、wikiなど。

なんでか?ってのをちょっと。

 

◾︎基本のバイアス

「人は悲観的になるようにできてる」。

進化心理学的には「その方が生存率が上がる」からと言われる。

例えば「食料」。

楽観して食いまくって枯渇するより、悲観して備える方が生存率が上がることは間違いない。

同様に、楽観的でリスキーな選択肢を行うより、着実に確実な一歩を進めていく方が、長い目で見た場合に上手くいきやすいという事もある。

 

⚫︎文字情報は「不安を煽る」

なんせ「頭で考えるしかない」上に「情報量が少ない」。

映像であれば、「漂う空気感」「全体の流れ」「雰囲気」など、様々な「言語外の情報」がついてくる。

それによって、「これは平気」「これはヤバい」などの判断が出来る。

文字情報では、これができない。

ただひたすら「頭でこねくり回す」事になる。

結果、マイナスのバイアスが強くかかるようになる。

 

◾︎解決策

実際にやる事以外の情報を集めない事。

必要な情報だけを入れる。

そして、実際はどうなのか?に注目する。

映像でも実物を見に行ってもいい。

現実を確認する。

とにかく「考えただけで分かった気にならない」というのが重要。

可能なら実際にやってみよう。

そのために情報を集めたのだから。

 

◾︎まとめ

基本的に「マイナスのバイアスがかかる」。

故に、頭を使ってこねくり回すほど不安が増大する。

文字情報は情報量が少なすぎて判断材料としては心許ない。

むしろ「見る」「感じる」方が正しい情報を得られる。

「実際にやる」もしくは「やってる映像を見る」事で、その感覚が掴める。

ムダに不安症な人は、「実際はどうなのか?」ってとこに着目するといい。

おそらく「イメージとは違う印象を受ける」だろう。

良くも悪くも、ね。

 

色々と意識してみて下さいませ。